大納会

本日は大納会である。

私も株取引を長い間している。
ざっと35年程にはなろうか。
例の昭和48年の
第一字オイルショックの翌年からである。

皆さんの記憶にも残っているように、
世の中から全ての商品がどこかへ消えてしまったのである。
石鹸・トイレットペイパー・・・
もちろん暖房用の灯油・重油は当然のごとく姿を消してしまった。

私はその年、浜松盲学校にいた。
新築の寄宿舎には暖房施設がされていて、
近代的な鉄筋コンクリートの寮であった。
どこから調達して来たのか、
校長の力で暖房は働いていた。

不足していた石鹸の代用に「やし油」の石鹸を使った。
これがすすぎには向かなくて、
いつまで経ってもなにか「ヌルヌル感」がとれないのです。

まぁ、それぞれ皆さんなりの思いではお持ちの事とおもういます。

当然経済界は大荒れで、
原油を産出しない我が日本は、
他国に比べても格段にひどい状態であった。

高度成長期にあった株式市場も大荒れで、
オイルショック直前の日系ダウ5,500程がみるみる下落していったのです。

翌年の秋・体育の日の前日には、
3,300代まで下降していました。

私の同級生に、今で言う「アラフォ」の方が居た。
この彼は視力を失われる前まで、
不動産取引の仲介業をされていた方で、
株のほうも専門家であった。

もう亡くなってしまったが母方の叔父も、
野村證券」の外交員をしていた。

体育の日の休日で実家に帰っていた私に、
何か「ピッ」とひらめいた!!

さっそく新聞の株式欄で、
私の専門分野である電気危機のなかから、
現在ではNECの傘下に入ってしまっているが、
「東北金属」を資金の関係から注文をした。

90円の値であったが注文は100円で成立した。
昭和49ねん10月11日のことである。

資金の出所は、
仕事の関係で生命保険に入っていたのが、
視力を失って全盲になったため、全額下りた分をもとでにした。
100万円である。
今頃100万円の生命保険なんて加入される方などいないであろうが、
当時の安月給の私には大変な月々の掛金であった。

しかし、社長の多くの?彼女の内の一人が保険の外交員で有ったため、
月々の支払いは、会社と従業員の折半であった。

そのご、経済界も落ち着きを取り戻して行った。

そして私は50年に自宅開業をした。

数年後、
叔父から「株はどうしとる?」
「東金」は1,600円になってるぞ。」

株の事なんか、もうすっかり忘れていた。
これが無欲の「ビギナーズウイン」と言うものでしょう。
一銘柄が16倍にも成ったのは、その後の35年間で二度と出会った事が無い。

ちなみにこの銘柄、バブルのピークには、3,600円の値を付けた!

それから始まって、
今日もこりる事無く、「売った?買った」を続けている。

今年は、
話題のtwitter関連銘柄で、身に余る?ボーナスをいただき、
来年も「カジノ」関連の新参ものと共に、
大暴れをしてくれると信じて、きょうの「大納会」を迎えている。

これは現状では夢の夢であるが、
元での保険金が増えて、
また視力回復のためのなんらかの技術が生まれた時には、
全額投じてでも視力回復に投資するつもりでいる。